絵酔ダイアリー

イラストと短歌と赤毛のアンの読書備忘録

つくばねの(百人一首13)陽成院


腰を痛めてしまいました。
ようやく緊急事態宣言が解除されるというのに、口惜しいです。
カルシウムを多めにとって回復を目指します。

百人一首、十三番目になりました。





筑波嶺の峰より落つるみなの川
恋ぞつもりて淵となりぬる(陽成院)

つくばねのみねよりおつるみなのがわ こいぞつもりてふちとなりぬる(ようぜいいん)


筑波山の峰からしたたり落ちる滴が集まって水無川の淵となる、そのようにあなたを恋そめた心が積もり積もって、こんなに深いものになったのです。[百人一首の手帖(小学館)より]


ダイソースクラップブック
インクテンスブロック




みなのがわは男女川とも書きます。


常陸国(今の茨城県)の筑波山は山頂が男体山と女体山の二つに分かれていて、その峰から流れ出るので男女川と呼ばれました。

古代には歌垣(春と秋に男女が集まって神を祭る行事)を行われる場所として知られていました。




陽成院の父は清和天皇(せいわてんのう)、母は二条后高子(にじょうのきさきたかいこ)です。

高子は、若い時に在原業平と駆け落ちした事で有名です。

陽成天皇は、第57代天皇に10歳で即位しましたが、病のため17歳で譲位しました。自身としてはこの歌のみが残されています。

陽成天皇は、権力の藤原氏摂関家への集中の過程で、藤原氏の希望を担って即位しましたが、その伯父たる基経によって廃位されることになった人で、母の高子も後に皇太后の名と身分を剥奪される事になります。





陽成天皇が退位したあと、傍系であった光孝天皇(こうこうてんのう)が次の天皇になります。
天皇の系統は光孝・宇多・醍醐とつづいていき、清和・陽成の系統にもどることはありませんでした。



後撰集の詞書には「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかわしける」と書かれています。

釣殿の皇女とは光孝天皇の娘、綏子(すいし)内親王を指しており、後に陽成院のお后となります。
具体的な相手があってのラブレターだったのです。

政治のライバルであった光孝天皇の娘との縁組。図りごとであったとしても、この歌からは純粋に相手を恋い焦がれる気持ちが伝わってきます。


結婚生活もきっと仲睦まじいものであったのではないかと思うのです。



陽成院上皇としては在位65年とぶっちぎりの長さです。
82歳の寿命は当時としては相当な長生きです。
京都の片隅に粛々と生きて、政敵がこの世から去っていくのを見届けていたわけです。

残念な事に、お后は陽成院より24年も早く亡くなってしまいます。


もしもお后の方が長生きしていれば、陽成院の他の歌も残されていたかもしれませんね。




今日もご訪問下さりありがとうございます😊